memo -a day in my life-

あいかわらずなボクら。

散々な日も最高級のスマイル。

簡単なことじゃないってわかっているけど。
こういう時だからこそ。


メカニズムなのかプレートなのか
詳しいことは全くわかりませんが
距離的にはそちらの方が近いのに
信越地震はあまり伝わってくることがなく
東北や関東の大きな余震で時折ゆらんとします。

市内の一部や近隣の市町では停電や断水があったりもしましたが
私のところではそういうこともなく
大きな被害もありませんでした。

千葉の弟からは「生きてるよ。」メールが親の方に届いたし
東京の友達とは某SNSで連絡を取り合ったりして
私の周りはみんな無事でした。
でも実家が東北にある友達は
一度は取れていた連絡が取れなくなったりだとかして
まだまだ心配はつきません。
(さっき連絡取れたって報告がありました。良かったよー。)


嵐くんたちも無事だったようで安心していますが
幕張で液状化が起こっていることを聞くと
桂花楼は大丈夫かなって思うし
翔くんのおじいちゃんおばあちゃんちは
揺れが酷かった地域だったよねって思ってみたりしています。


怖い。って思った揺れは2回目です。(どんな規模の揺れも怖いとは思うんだけど。)
どうしよう。やばい。って。

一昨年の夏の静岡沖地震
あの時はガタガタガタって細かい縦揺れで。
これ以上大きくなるのかならないのかってドキドキした。

すぐにつけたテレビで自分がいるところが赤くなってて
ものすごく不思議なかんじがしたのを覚えています。
客観的に情報としてそれを観ながら
だけどその真っ赤になっているところに今いるんだっていう違和感。
それはきっと他に何の被害もなくて
すぐにテレビを観られる状況だったからこそだったんだと思う。

それだって適わない状態にある被災された方々を思うと胸が痛みます。
「命があるだけでも良かった。」っていうのは
もしかしたら慰めにならないんじゃないかとも思うのです。
情報網が発達して
すべてが「LIVE」で観られるようになったけど
同時に観てることしかできない無力感も感じます。

うちも輪番停電の地域に入っています。
それがどう影響するのかまだわかりません。
だけど今できることをするだけ
自分ができることを最大限するだけです。


今日は地震発生時にしていた作業の続きをしました。
こぼれ種から芽が出たカモミールを鉢に植え替えました。

カモミール花言葉
「苦難に耐える」
「逆境に負けない強さ」
「親交」
「あなたを癒す」
あの時は相葉くんや溜くんを想ってたけど。
被災された方々に祈りをこめて。