memo -a day in my life-

あいかわらずなボクら。

月は沈んで見えないだけで無くなった訳ではない。

こういうことを書いていいものか迷いましたけど私の記憶と記録のために書いておきます。私事超ですのでスルーしてくださって構いません。


母方の祖母が亡くなりました。89歳、老衰とのことでした。たくさんは歩けないから車椅子を使ったり物忘れも少し多くなったりはしたけど、大きな病気も怪我もすることなくずっと元気だったおばあちゃん。去年のお正月に米寿のお祝いで伊豆に旅行に行く時に、友達に「おばあちゃんに会いに伊豆に行くんじゃなくて、おばあちゃんを連れて*1一緒に旅行に行くんだ。」って話をしたら「気力も体力も健康でうらやましい。そういう年の取り方をしたい。」ってみんな口々に言ってくれたんだよ。そのくらい元気だったんだよ。だから文字通り急逝でした。家族も親戚も周りの人たちもみんなびっくりしてた。でも私なんとなく予感もあったんだ。誰にも言ってないけど。うちのおばあちゃん(一緒に住んでた父方の祖母)が亡くなる時と同じような光景が少し前にあったから。そういう勘ばっかり良くってヤだね。
私を含めて孫は8人、ユメとサキを含めてひ孫も8人。みんなおばあちゃんが大好きでした。思い出の品として置いてあったおばあちゃんの日記にはちょうどサキが産まれた時のことが書いてありました。そういえばユメが産まれた時も母が忙しい時にはお風呂に入れてくれたりしてた。赤ちゃんの扱い方なんてもう忘れたとか言う母よりよっぽど頼りになったよ。
年末の餅つきはお餅をのすのにおばあちゃんが頼りでずーっとおばあちゃん任せだったけど、だんだん昔みたいに動けなくて。一昨年とか去年とか孫とひ孫でてんやわんやでのしてみたけどおばあちゃんみたいに上手くできなかった。次からはちょっとクオリティが下がるよ。のし係を受け継いだSちゃんがはりきってたから大丈夫だと思うけど。*2
小さい頃はゆかたを直してくれたり編み機でいろいろ編んでくれたり。いっぱい作ってもらったね。私が手作り好きなのはおばあちゃんの血だと思う。
式の中でも言われてたけど最期まで穏やかて朗らかなひとでした。たくさんの人が来てくれておばあちゃんのためにって歌を歌ってくれたりお経あげてくれたりした人もいたよ。おばあちゃん幸せ者だなあって思った。みんなを幸せにしてきたんだろうなあって思った。ありがとうって、みんなありがとうって言ってた。私も言ったよ。おばあちゃんにはありがとうしかないもん。ありがとうねおばあちゃん。

タイトルは和尚さんが解説してくれたお経の一部。(だったと思った。記憶あいまい。)月はいつだって天にある。命の宿る場所がそれぞれの心に変わっただけなんだって。直接の恩返しはできなくなったけど、そうやって想っていくことが恩返しになるそうです。

*1:おじいちゃんも連れて。

*2:私は手返しの係の方を受け継いだので、のしの技術はない。