memo -a day in my life-

あいかわらずなボクら。

整理整頓。

人も物も時間も場所も切り捨てながら生きてるのかもしれない。
なんて思ってみたり。


家の取り壊しの日が近づいて、毎日片付けばっかりやってる。いろんなものが出てくるね。大好きで買った本とか友達からの手紙とか。ずっとしまってあったけど、開ければやっぱり大好きで思い出もたくさんよみがえって。でもこれから先も持って行く程必要かなあって思うとそうでもなくて。
携帯がデータの移行ができない状態で壊れちゃったのも、そうやって思うひとつなのかな。電話帳には今ではもう影も形も知れないような人の連絡先だってあった。それがなくなったってどうということはないんだけど。でもそれも出会いの履歴だったんだなあって思うと何かをなくしたような気持ちになる。
VHSも捨てちゃうことにした。多分もう観ない。デッキも繋がないと思うし。中は好きになった頃の嵐さんもいっぱい詰まってて、本当に惜しいなって思うけど。だっていちばん大好きな嵐だもん。前のエントリで今の嵐がいちばん好きって書いたばっかりでなんですけれども。でもその嵐を観て好きになったんだもん。心動かす程の何かってやっぱり最強なんだよ。

思い出に引きずられるとどれも捨てられない。けど全部を持って行く訳にもいかなくて。
忘れてしまうことの方が多いのかもしれないけど、胸の中に持って行けばいいかなあ。
目の前、手の中からはなくなたったって、私の中に積み重なってるもん。


そんな訳でアラシゴトも情報はチェックしてるけど、ちゃんと落とし込めてない。7月からずっと次から次へいろいろあって、噛みしめる前に流れていってしまって、たくさんあるのに空っぽなかんじもするの。
何にしても翔さんは働きすぎでした。っていうかお仕事ありすぎ。あれ?おんなじ意味か?それだけいろんな顔を持ってるってことだよね。忙しさを心配しない訳じゃないけど。しすぎてもいないの。ありがたいことだよなあと思う。だって男性の育児休暇ってZEROでやってた(よね?記憶曖昧。)けど、もし今翔さんが結婚して子供できて「じゃあ俺、育児休暇取ります。」って例え1ヵ月だってその姿にまみえないようなことになったら、きっと辛いもん。その志はとても高く評価したいと思うだろうけど。ってZERO観ながら何故こんな複雑な思いに駆られてるんだろうね私は…。(だって翔さん言い出しそうだなあって思ったから。)
あたらしあらしは新しかったようなそうでもなかったようなだったな。ああもう今は深夜の嵐さんを知らない人もいるのかもなあってふわんと思った。私だってたくさんは知らないけど。
あとは。Bet de 嵐のにのあいとかやまっことか翔潤とか。どれも酷くてありがとう。最後、お外で風に吹かれる5人が素敵だった。空の下大事。
24時間テレビのことはちゃんと別に書きたいなあとも思うけど、そう言ってるといつになるかわかんなくなっちゃうね。まっすぐな子ばっかりだったなって思う。シンクロの子たちも合唱の子たちもグリッターの子たちもタップの子たちも。やりたいこと伝えたいことに気持ちがまっすぐで。だからすごく素直に感動できた気がする。さっぱりしてた。にのちゃんのコーナーはニノさんぽいかんじもして、にのちゃんニノさんやってよかったねえて思ったよ。大島さんはあの身体を作ったことだけで十分伝わったなあって思ったから、スタートラインに立った時点でゴールだよって思いました。


思いつくまま言葉を並べたので、文章になってないところもあるけど、とにかく書けたのでスッキリひと安心。
なかなかお星さまつけに回れないのがさみしいです。しかもしばらくスマホからになると思うので、引用でつけられないのがさらにさみしいよー。拍手もぽちぽちありがとうございます。

いよいよアラフェスですねー。無事故無違反(←?)でいってらっしゃいませー!